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龟甲万株式会社的历史

作者:未知  来源:キッコーマンホームページ   更新:2006-7-16 10:32:06  点击:  切换到繁體中文

 

年号 会社 キッコーマン商品と
日本の食生活の移り変わり
1917
(大正6年)
野田醤油株式会社設立
万上味醂株式会社設立

1918
営業を開始
大阪に出張所を開設

1925 野田醤油醸造株式会社、万上味醂株式会社、日本醤油株式会社を合併
第17工場(現野田プラント)製品を初出荷
しょうゆ2Lびん発売
1927
(昭和2年)
商標をキッコーマンに統一(東京市場)
東京に出張所を開設

1929
イースト菌の国内製造開始、製パン技術の発展が始まる。
1930 びん詰工場(現中根プラント)作業開始 カレー粉普及、家庭でカレーが作れるようになる。
1931 関西工場(現高砂工場)を完成
1932
しょうゆ8L缶発売
1936
ソース発売
1939 御用醤油醸造所(御用蔵)を完成
1940 商標をキッコーマンに統一(全国)
1942 (財)野田産業科学研究所設立
1943
「さつまいもは大切な主食」という標語のもと、増産運動始まる。
食管法改正、やみ米に罰則。
1948 新式2号しょうゆ製造法の技術を公開
1949 株式を東京証券取引所に上場
しょうゆの輸出を再開

1950 しょうゆの価格統制解除 ステンレスの流し台登場。
アメリカン・ドーナツ売り出される。
1951
公営アパートにダイニングキッチン。
日本航空が初の機内食。
1952
栄養摂取量、2033kcalに好転。
ビタミンブーム、米にも炊飯用強化剤(バイオリッチR1号・2号)発売される。
1953
特選しょうゆ発売
1955
(昭和30年)
NK式たんぱく質原料処理法の技術を公開 しょうゆ1Lびん/贈答9L缶発売
1957 キッコーマン・インターナショナル社(KII)設立(サンフランシスコ)
1958
しょうゆ18L缶発売
厚生省「栄養白書」4人に1人が栄養不足を警告。
レタス等の西洋野菜、家庭に普及。
初のインスタントラーメン「チキンラーメン」登場、爆発的な人気に。
1959
萬味発売
1960
都市サラリーマンの生活に洋風化定着、魚菜より肉乳卵。
1961 吉幸食品工業株式会社設立(1963年、キッコー食品工業株式会社に社名変更)
盛進製薬株式会社設立
株式を大阪証券取引所第1部に上場
しょうゆ卓上びん/めん類用まんみ(めんみ)発売
食品の自由化進む。
1962 利根飲料株式会社設立(1963年、利根コカ・コーラボトリング株式会社に社名変更)
勝沼洋酒株式会社設立(1964年、マンズワイン株式会社に社名変更)
とんかつソース発売
コカ・コーラの自動販売機が登場。
米の一人当たりの年間消費量、戦後最高の118.3kg、以降減少。
1963 日本カルパック株式会社に資本参加 デルモンテ・トマトジュース/デルモンテ・トマトケチャップ発売
文部省、義務教育児童すべてにミルク給食を実施。

 

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